私は元不登校なので、普通に学校に行って生きてきた友人の学生時代の思い出話を聞くと「いいなぁ」「そういう青春、自分もしたかったなぁ」と思うことがあります。正直、うらやましく思う気持ちが出てくることもあります。
ただ、本当はうらやましく思う必要ないんですよね。その必要がないことを友人の一言が教えてくれました。私が嫉妬を向けていた相手(学校に普通に行って生きてきた友人)が、嫉妬が不要であることを「雑談中の一言」で教えてくれたのです。
その一言は、次の言葉でした。
「いいよなぁ、イケメンは。ときどき思うよ、イケメンの人生ってどんなんなんだろう?って。僕はブサイクの人生しか体験したことないし、この先もイケメンの人生を体験することはないんだろうなぁ。うらやましいよ」
その友人は私のことをイケメンだと思っていて、私の人生がうらやましいと言うのです。自分が体験できなかったことができている人物(木村優一)が目の前にいて、そのことに嫉妬しているようでした。友人のその言葉は私と同じ気持ちでした。
私→元不登校なので不登校ではなかった友人の体験が「できなかったこと」でうらやましい
友人→イケメンではないのでイケメンの男性の体験が「できなかったこと」でうらやましい
同じことを思っているんですよね。よくよく考えればこの例に限らず人生は「できなかったこと」であふれているわけで、できなかったことに目を向ければいくらでも不幸になれるし無限に嫉妬できます。そんな当たり前のことを「雑談中の一言」で思い出させてくれた友人に手を合わせたくなる気分でした。
貧しい家庭に生まれた人がお金持ちの家庭に生まれた人の体験を「できなかったこと」としてうらやましく思っても、即座に生まれ変われるわけではありません。「子どもの頃にたくさんおもちゃを買ってもらった体験やいろんな国に旅行に連れて行ってもらった体験を自分もしたかった!」と思っても、現世では無理です。できることは来世に期待することくらいでしょう。
ただ、お金持ちの家庭に生まれた人も何かと嫉妬しているはずです。「高身長の幼少期を体験したかった」「自由に恋愛できる学生時代を体験したかった」「浮気しないお父さんのもとで育つ体験がしたかった」…… 自身が体験していないことに想像をめぐらすといくらでもあるわけで、そこに生じる嫉妬心はみんな同じです。
そうして頭のなかを広げてみると(というより、当たり前のことを思い出すと)不幸を感じがちな心が幸せに向かいます。「なぁ〜んだ、みんな同じじゃん」と思えて、澄みきった心になって、自分が自分の人生を生きることに集中できます。私はこうした気持ちの変化を「心に透明感がでてくる」と表現します。
お子さんが不登校になっている親御さんは、元不登校として生きていく子どもの未来を悲観したくなることもあるでしょう。我が子が大人になったとき、不登校時代を振り返って「自分には青春がない」と落ちこむのではないか?そう思うこともあるでしょう。そんなときは今回の私の話を思い出してください。落ちこむのは元不登校の大人に限らず、“みんな”なのです。
大事なことなので余談を。私は私のことをイケメンだと思っていません。友人がそう言っているだけです。私以外の人物が言っていることなので「木村さんって自分のことをイケメンだと思っているんだな」と誤解しないでください。……と、これが正直な気持ちなのですが、私には自分を肯定する正直な気持ちもあります。自分のルックスを肯定的に見ていて、「こんな素敵なルックスに生んでもらえてありがたいなぁ。親に感謝だなぁ」と思う気持ちもあるのです。つまり、自分がイケメンだと思っている気持ちもあるのです(笑)簡単に言えば、自分のことをイケメンだと思う気持ちも思わない気持ちも両方あって、どちらの気持ちも大切にしながら幸せに生きているということです。
不登校経験があってもなくても、幸せに生きる力がある人は幸せに生きていきます。
お子さんの“幸せに生きる力”が伸びるようなかかわり方をしてみてはいかがでしょうか。
執筆者:シア・プロジェクト代表 木村優一
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